amori's blog

よろず技術系と趣味関係の雑記です。アニメの比重が高くなってます・・

正解するカド: 最終回の感想と総括

前回からの想像通り、やはりヤハクイザシュニナの掌の上での反撃でしかなかった、という展開からもう一回どんでん返しの最終回。

今回は驚く前に笑ってしまいました(^。^)

あーなるほどー、中盤からのラブロマンス要素はこのオチのためのあざとい伏線だったのね。うん、これはフェアだわ・・・

な、わけあるかいや(-_-;)
それがありならもっと早く出てきて(時間コントロールできるだから)いやボーン回避できたやん・・・

ほんまにもー、完全にバカSFで完結したなー。


・・ただですね、この最後の展開のおかげで自分でも意外なほどに「あー、面白かったあ」と、バカSFの結末に納得できたというのもありまして、

あ、バカSFは褒め言葉です(^_^)

多分これは、自分が観たいと思って繰り返し予測していた
「人類が創造主の思惑を超えて発展進化する」
という展開が、バカSFとは言え、曲がりなりにもひとつの形になってた、ということに尽きるのではないかと自己分析しています。

人間って自分が観たいと思った範疇に入ったものはとても広く許容できるもんなんだなあ、と、つくづく納得しました。

実は、
わたしが第2話時点でこの作品の大まかな設定を予想できたのも、種を明かせば
「箱庭宇宙の住人と創造主とのファーストコンタクト」
というプロットというかアイデアが、随分と昔から頭にあったからなのです。それはイーガン「クリスタルの夜」よりも更に遡ってホーガン「造物主の掟」あたりがその原点だったような気がします。基本的なアイデアがほとんど同じだったせいで、序盤に散りばめられたアレヤコレヤがどれもこれも納得できるという展開だったわけです。

↓こちらがその予想。
http://amori.hatenablog.com/entry/2017/04/25/184634


観たかったものみられる、というのは本当に嵌められるもんなんだなあ、と改めて実感しました。

逆に後半の、実はバカSFに向かっていた展開については大外し。そりゃ自分が観たい設定からは大きく離れていくばかりだから、頑張っての考察や合理化は色々と無理ありましたね。

惜しむらくは、もっと早い段階でバカSF展開を全面に出していてくれたならば、
「このバカSF展開に、そんな勿体無い大ネタのSF設定持ってくるかあ?頭おかしいww(褒め言葉)」
と、もっと前のめりでダレることなく楽しめたのになあ、と思ってしまいます。

あと、意外だったのは、9話のラスト以降、もしくは7話8話の縁日回デート回展開あたりからネットでは
「面白くなってきたー」
という反応も少なくなかったことです。
これも、その人たちにとって「観たかったお話」だったということなのでしょうね。

一定数そういう人たちがいるということは、プロデューサーがとりあえずラブロマンス入れようとするのは、数字の積み上げには貢献するもんなので特に製作委員会方式だったりするとしょうがないんでしょうね。
そう考えると、シン・ゴジラでその圧力を蹴っ飛ばしトコトンまで自分のイメージに固執した庵野監督の信念はすごかったんだなあ、と改めて認識しました。

シリーズ構成や製作についても色々な意見はあったんですが、上記のように色々と昇華されてしまったようで、

ま、なんだかんだと文句言いつつも、お釣りが来るぐらい楽しめた作品でしたので、結果オーライです。

どれ、積ん読野崎まどに手を出すときがきましたか(^_^)


補足:
anond.hatelabo.jp
を読んで思ったのだけど、最終回のオチは森博嗣の某作への強いオマージュと言えるのかも。わかる人にはわかりますよね?

他の正解するカド関係の記事はこちら
amori.hatenablog.com

関ジャニ∞/ジャム: やはり「今」が別格

ザッピングしてて「あれ?Kenkenがテレビ出てる?」と見つけた、関ジャム完全燃SHOW。毎週の楽しみのひとつです。
で、この番組でお馴染みのアーティスト・プロデューサーたちが参加する新譜の「ジャム」を心待ちにしておりまして、早速買ってきました。

・・そういえば、ジャニーズ関係のCD買ったの初めてでしたわ。

以下アルバムインプレッション

とっても楽しいアルバムです(^。^)。

楽曲提供者の個性と関ジャニの個性とがいい感じで溶け合って、関ジャムという番組のテイストを反映したものになっていると思います。

特に白眉なのは、やはり「今」。
これ、ほ・・もとい、nise akira提供の楽曲が良いこともあるのですけど、菅野よう子の編曲による完成度が別格です。

もちろん他の曲もバラエティに富んでいてそれぞれに楽しいです。番組で製作過程を紹介していた「DONAI」なんかは狙ってる線が実にツボでとっても好きで、「あー、こう来たかー(^。^)」と思わずニヤリとさせられます。クリエーター陣のあれやこれやの工夫やそれに応える関ジャニのパフォーマンスが本当に楽しい。

「今」の何が別格と感じるのかといいますと、その真逆でして、
「プロデュースの作為がほとんど前面に出ないで、楽曲全体がひとつの完成された作品」
という印象を受けたところです。

もちろん楽曲提供の星・・もとい、ニセ明の作風は随所に感じられますし、華やかなアメリカンポップス風のバックとか関ジャニのカラーを活かしたアレンジなどのプロデューサーのオーダーは感じなくもありません。
しかし、それらの要素も楽曲構成に綺麗に吸収されていて、あたかも全てが予定された調和にしたがっているかのようです。
菅野よう子を天才として賞賛している田中公平とか神前暁ならば、何がそれを実現させているかを解説してくれるのかもしれませんが、
凡人のわたしには、ただただ「なんか知らんがスゲえ(°_°)」という感想しか持てません。

この曲は、今後とも色々な場面で歌い継がれていく関ジャニを代表する特別な一曲になるのではないだろうか、とすら思います。

・・ついつい菅野よう子推しになってしまいましたが、どの楽曲も面白くおすすめのアルバムです。


星野げ・・もとい、ニセアキラが関ジャムに出て来て、アレンジの解説してくれないかなー。

#曲名がここのところワンワードばかりなのはヒットの験担ぎなのかな。

貴族探偵 圧巻の最終回 \( ˆoˆ )/

終わっちゃったー・・・

ほんと面白かったです。
いちげんさん放ったらかしの事件編では既読組には、過剰なまでの設定アレンジのフックに翻弄されまして、

・えー、脅迫?予告?
・なーる、バラの飾りから星座オブジェにアレンジしてきたのか・・・って、え、あんたが鈍器、もとい、オブジェ並べたら犯行の流れ変わってまうぞ・・
・んーと、そもそも昔の事件の関係者が出てきたら因果関係かわってくるやん
・で、被害者がこうなると、あれとこれはどうなるん?
・貴族、プロットに重要な雨のシーンを月9演出で蹂躙したーw
・・・ここまで弄って原作のミステリコアどうなるん?

と、翻弄されまくりに加え、

最終回でも、
高橋瞳の使用人が生き残ってる・・
・貴族は原作みたいに拘束され、女探偵もある意味拘束されてる。んーと、犯人の仕込みはどっちだ?
・貴族側の使用人が出てきたら原作の大オチが変わってしまうー
・え、使用人に捨て推理・・・

とかさらに翻弄されてるうちにアレヨアレヨと、終わってみたら、
あれ?結局ほとんど原作通りじゃね(°_°)? ど、どこで元に戻ったんだ??

と、さらに混乱するほど、原作の本質的な部分はきっちり踏襲されて構成されてたという。

いや、本当に脚本脚色の練り上げ方には感歎しました。これを作り上げたスタッフはさぞや楽しかったろうなあ。
そしてスペシャルエンディングで、原作・スタッフ・俳優陣へのレスペクトと、シリーズ構築をやり遂げた達成感を強く感じました。

残るエピソードと「いつかまた」の隠しメッセージに次なる期待を抱きつつ、まずは類稀なドラマに感謝です。

正解するカド 第11話 それでもまだ希望が・・

えーっとですね、さすがにあと一回でステレオタイプな展開をひっくり返してはこれないでしょうねえ(-.-;)

これまではこの作品のプロットについてのみ解釈や予想をコメントしてきたんですが、さすがに製作自体にコメントしたくなったので、これについては記事を分けます。

さて、ヤハクィザシュニナの人類拉致計画を阻止するべく、真道と沙羅花は品輪のサポートを得て対策を準備した・・
という展開はあまりにもストレート過ぎて、これ自体がミスディレクション出ないかとすら思ったりしなくはないのですが、第7話〜第9話でハードSFから人間ドラマにクロスフェードしてきた流れからして最終話でハードシリアスSFの比重が大きくなることは、まあないでしょうねえ(ToT)

巨大化し人類を飲み込んだカドが、ヤハクィザシュニナと真道との対消滅を起こし、それを沙羅花が涙とともに見つめ、バックにエアロスミスがかかる、
みたいな終幕でも、もう全然驚きませんわ(´ー`)


まあ、それでもまだ残された希望があるとしたら、
・品輪はあのスーツを対ザシュニナ兵器と思って作ったわけではなく、また異方に行くなら喜んで行く気配がありあり。
・ヤハクィが沙羅花達を閉じ込めた、と言っているガジェットと、沙羅花が閉じこめようとしてるガジェットが見た目同じ。なのに沙羅花たちは自由にこちら側と往き来してる。てことは、ヤハクィはわかってて真道と沙羅花を泳がしてるわけで、品輪に異方アクセスの知識をも授けてるんだから、結局は全てヤハクィの掌の上という展開もあり。
・ヤハクィが読んでいた小説は、有島武郎の「実験室」のよう。これ、病気で死んだ妻を解剖する医師の話。前に「人間万歳」が展開の暗示だったことがあるから、これも暗喩だとしたら、解釈しだいでバッドエンディングへの期待もなくはないような・・・

さて、どうなりますかね。と、思わせてくれるだけでも、充分楽しい作品だったことは確かです。
予想の外し方が、斜め上でなく斜め下だったのだけは残念でしたけどね(^。^)


ちなみに「実験室」の概要
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/実験室_(小説)ja.m.wikipedia.org

本編は青空文庫にはありませんが、国会図書館のデジタルコンテンツがありました。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1109899dl.ndl.go.jp

貴族探偵 第10話 もう、いちげんさんノーケアですな(´ー`)

「こうもり」で大盛り上がりのままいよいよ最終エピソードです。

・・・ただし一般視聴者置いてきぼりでw

第2話の感想で、
amori.hatenablog.com

「バブルの時にすら見られなかった、芯の通った狂った(褒め言葉)ドラマ製作をクールの最後まで続けさせてあげるべく微量ながら応援させていただきますわ」

と書きましたが、この時に想像した以上に振り切ったスタイルのままゴールできそうで嬉しい限りです。

原作のミステリのコアを損なうことなく、脚本・演出そして役者陣の演技によって、(良い意味で)はしゃぎ切ったドラマとしての映像を、小説の枠を超えた作品を実現し、そしてファン層も色々な意味でw大幅に拡大したのではないかと思います。

その最大の要因は、やはり狂気の決断と決意でしょう。褒め言葉ですよ(^。^)

視聴率がどうなろうと、やりたいことやれることを月9として可能なリソースを可能な限り全部ぶち込む。主役級役者を湯水のように使い倒す。シリーズ構成としての大きな仕掛けも盛り込む。だから数字に左右されるテコ入れや軌道修正はやらない。
視聴率至上主義の月9で、これを狂気と呼ばずしてなんと呼ぶべきでしょうかw

そして最終エピソード。
もうねこれ、この狂気に喜んでついてきた視聴者たちに向けて、最適化した脚本構成演出ですよね。
それなのに「まだ」8%もある。いくら相葉君推しの一大勢力があったとしても、これは「狂気」の勝利でしょう。

前編の事件編、客観的に一本のミステリドラマとしてみれば、全くもって面白くないものですよ。
・半裸のイケメンによる中途半端な脅迫文の導入。
・館に集まる人物たち・・えー?普通は絶海の孤島でのクローズドサークルじゃないのぉ?
・あからさまな鈍器・・もとい、オブジェの配置。あー、これが狂気じゃなくて凶器なのね。はいはい。
・ディナーシーンもひねりないなー。だいたいなんで探偵遅れてくんのよ。てか、ドレス贈ってくれた友人って意味あんの?これとか百合要素とか謎解きに関係あったりすんの?
・なかなか事件に起きないなー。あ、過去の事件の因縁なのね。その真相を知ろうとするヒロインね。まあ、ありきたりかな。
・やっと事件起きたわ。え、今週これで終わり?なんかへんな服の人が・・あ、これが相葉君なの。来週は相葉君が解決する話か。けど、こんな事件の解決だけで一時間持つの?え、拡大?

てな感じだったのではないでしょうか(´ー`)
来週数字下がっても全然驚きませんよ。てか、数字が上がるとしたら、これまでついてこられた訓練された視聴者たちがリアルタイム視聴者する状況しか考えられない。

第9話まで喜んで観てきて、原作もフォローされた人なら、上記の「つまんなかったポイント」がことごとく強烈なフックになってることは、もうお判りですね。
そして麻耶ファンにとってドレスで遅れた探偵やパースデーケーキまでもが、ツッコミどころだという。

いやあ、解決編楽しみだなあ。
シリーズ全体の謎も、シリーズそのものに散りばめられた要素を使った、いちげんさんへの気遣い無しの展開で突っ走ってもらうことを期待してますわ(^。^)

追記:最終回視聴率 9.8%だったそうな。テコ入れのおかげか、生視聴ガチ勢が増えたのか。いやあよかったよかった(^。^)

正解するカド 第10話 ・・異方≠高次元

前回の展開から、第10話で語られた内容はまあ予測の範囲内でした・・悪い意味で(T_T)

沙羅花他の異方存在が我々の宇宙を創世から観てた、ってのはまあいいとして、なんでメンタリティがそんなに陳腐な人間くさい自然志向なんですか・・

でもって、バトルも結局、愛が全てを救うみたいな展開に加えて、気がついたら事後のワイシャツサービスカットとかw


・・・ここまでベッタベタの手垢にまみれた展開を見せられると、逆にもう一回ひっくり返し返してくるんではないかと期待してしまいますわw

というのは、今回のエピソードで「次元」というワードを安易に使っているのにとても違和感を覚えたからです。

第3話でヤハクィが自分たち(もしくはノヴォ)の世界を「異方」と呼び、真道が「高次元世界」と例えたのを「その例えは齟齬がある」と否定しました。
このやり取りはこの宇宙がバーチャルリアリティとしてノヴォに作られたもの、と確証するひとつでもありました。

なのに今回のエピソードでは、
こちらの世界に入ってしまうと次元が落ちてしまう」とか
「高次元のままの私に勝てるわけがない」とか、そう言えば前回での説明も「高次元世界での情報不足」をコンタクトの理由としてたり、
どれも最初の「次元」の扱いとずれを感じてしまいます。

まあ、これを合理的に解釈するならば、
ヤハクィも沙羅花もこっち側にいるがために、高次元な存在に転化してる」
というう理由付けと考えられなくもありません。

それ故に、これからノヴォ本尊への干渉が始まり、この作品の当初の「人類との共通理解がありそうで怪しい超知性体との不穏なファーストコンタクト」というテイストへ回帰することにまだ希望を持っているのです。

それに、創世の頃にいた沙羅花以外の異方存在の行方もまだわかりませんし、品輪助手の活躍もあるかもしれず、さらに残り2話でもビジュアルの隠し球が残ってるそうなので、まだまだ新たな展開の希望は残ってると信じてるのです。

ただ、11話の予告だと、沙羅花と真道の反撃っぽい描写があったやうな。まだベタ展開かなあ。
ま、このまま終わってもトータルリコール以来の夢オチ投げっぱなしジャーマンという怪作として納得しますけどね(´ー`)

正解するカド 第9話からの考察

第9話、驚愕のラストからの衝撃からようやく立ち直りつつありますので(^。^)、気をとりなおして「あの展開」の意味と今後の展開を考察してみたいとおもいます。

これまでのカド関係の記事はこち
amori.hatenablog.com

** 以下、第9話の内容に思いっきり触れますのでご注意を **

さて、バカSF、もとい、バトルモード展開という驚愕のラストで、口あんぐりの方多数と思われます。(わたしもですw)
これには少なからず批判的な声もあり、
特に第9話でのヤハクィの行動が、これまでの超越的な異方存在の描写に対してあまりにも浅慮で人間臭い、という点についてコメントが多かったように思います。

確かに第8話ヒキでの怪しい表情から、余りにもステレオタイプな悪役っぽい行動というのはそのとおりだと思います。

・真道を異方に連れて行きたい
・合意を得られなかったので、4時間前にセーブしてた真道でやり直そう

この流れがどうにも人間臭く、別に真道の合意なくても異方存在の能力使えば、これまで散々コピーしてた真道のスナップショットを連れてけばいいんでないの? と、思いますよね。

しかし忘れてはいけないのは、
「ヤハクィも沙羅花も異方存在のオリジナルの存在ではなく、カドとこちらの宇宙に構築された自律的なアバターである」
ということです。
そもそもノヴォ側に人としての感性や善悪の概念がある可能性すら相当低いはずで、
今回のエピソードでヤハクィが人間臭く描かれていたというのは、ヤハクィという対人類へのインターフェースであるアバターが人間との自然なコミュニケーションを、本や縁日散策wなど、で習熟したからであり、カドの空間において人間にわかりやすいように表現されているからでしょう。
沙羅花のバトルモードも同様で、ヤハクィと沙羅花のカド内でのコンフリクトを人間にわかりやすい形でカド内で表現したら、沙羅花の人間界での知識と嗜好からああなってしまったというだけで、高次の世界ではもっとわけのわからないハッカー同士の攻防のようなものがあったのではないかと思われます。

これから、もしバトルが繰り広げられ、それが魔法少女ものぽかったりステレオタイプな能力バトルだったり、魔法陣のぶつけ合いだったとしても、
それはあくまで人間に伝わる表現というカドによる翻訳の結果ということで楽しめばよいのではないかとw

・・・ヤハクィもアニメ観てたのかな。


さて、次回のポイントは、なぜヤハクィは真道を連れていこうとしたのか、そして沙羅花はいつからどのような形でこちらの宇宙に構成されたのか、のあたりでしょうか。
きっと沙羅花とのバトルもしくは交渉の過程で明らかになるでしょう。

人類の文明を、情報の繭、とか、特異点とか呼んでたあたりに、単なるバックアップでは事足りない要素があるのかな。



そしてもう一人キーパーソン品輪助手が控えています。
まだ3話残ってますので、とんでもないかとやらかしてエンディングを派手にしてくれるのではないかと期待してます。

品輪「カドできましたー」とかで当初予想の線を実現してくれないかなあ・・・