amori's blog

よろず技術系と趣味関係の雑記です。アニメの比重が高くなってます・・

「打ち上げ花火(中略)見るか?」・・観た

公開後、何やら「酷評」というワードがバズっていて、ならばこれは自分の目で確かめねばと観てきました。
ちなみに元のドラマ版は観てますが微妙に忘れてもいます。

で、個人的な感想と結論は、
「普通に面白い。「物語」シリーズや「まどマギ」などのシャフトのスタイリッシュな映像が好きな人には文句なしでオススメ」
です。

20年以上前の伝説的作品を現代のトップレベルのアニメ製作陣でどのようにリメークしたのか、という点で多いに興味深いですし、もちろん元作品のことを全く知らなくても楽しめる作品だと思います。

ただ「酷評」が聞こえてくる理由もわからないではありません。

一番の要因はやはり「君の名は。」の反動でしょう。
もし本作が「君の名は。」よりも前に、もしくは「君の名は。」が存在しない世界線で公開されていたならば、議論はあったにせよ少なくとも「酷評」が先行することはなかったでしょう。
しかし実際には本作は、「君の名は。」のメガヒットによって劇的に拡大した観客層の多くに、もしくは声の大きい層に対してその期待に「届かなかった」作品なんだろうな、と思います。

その「届かなかった」最大の理由は、
「彼ら(観客)の物語ではなかった」ということに尽きると思います。

例えば、この作品の時代設定は現代ではあるものの(パンフレットのスタッフインタビューでわかります)携帯電話の描写がありません。これは元作品のテイスト・プロットを踏襲するためにどうしても必要なものではあるのですが、かなり大胆な設定です。現代の中高生にとってはそれだけでもう違う世界の話であり、登場人物達への感情移入にワンクッション入ってしまうでしょう。

また菅田将暉の起用がブレーク前だったのも誤算だったと思います。たぶんオーディションの時には中学生の微妙な時期の男の子を演技にはまっていたのでしょう。しかし菅田将暉のブレークにより、観客側に菅田将暉の特徴的な声に色々な役どころの色がついてしまったと、感じました。これもブレークがなければ彼の起用について物議はすくなかったのではないですかね。

そして、なんといっても本作は作品そのものがストレートに感動を呼び起こす種類のものではありません。観客の心象に響いて思春期の漠然とした不安・切なさ、希望といった想いを呼び起こす類の作品です(個人の感想)
感動を期待した人たちには、この辺りが期待外れだったのでしょうねえ。

なんか駄目出しばっかり書いてしまいましたが、これはあくまで「酷評」への推測でして、わたし個人としては、そのような見方に引っ張られないで普通に楽しめるアニメ映画だという感想を今一度繰り返しておきます。

追記: なんかあんまり酷評が先行するのでせめてもの反論としてこれ書いたら、の週末に同様なレビューが多数上がってた。みんな想いは同じなのね^_^

プリンセスプリンシパル 感想

東西に分割された19世紀末のロンドン・・・

ヨダレが出そうな設定ではありませんか(^_^)

で、第一回。
回転するガバナやアナログガジェットの描写がスチームパンク的設定を予感させます。

ふむふむ、超エネルギーというか力学系を実現できる物質によって形成されたパワーバランスで生じた東西ロンドンとそこで繰り広げられるエスピオナージュなのですね。

ちょっとビターなテイストは、プリンセス版スチームパンクジョーカー・ゲームといったところでしょうか。

テムズ川で大きく西に進出している東西境界線の意味とか現実の歴史や技術史とのシンクロ度合いとか設定自体にも興味がつきません(^_^)

天使の3P(スリーピース) インプレッション

バンドものラノベという設定に惹かれて原作の第1巻だけ読んだ記憶があって、メモを掘り返してみたら、
「ロリ要素は記号に過ぎず、引きこもり青年が社会に向き合う成長譚、のプロローグ」
とありまして、
そうだった。
結局、引きがあんまり強くなくて続巻には手を出してなかったんでした。

しかし安定した人気は出たようで、その後も巻を重ねてたのですね。
そして、満を持してのアニメ化。

第1話をさっそく観てみました。

「昔読んだ原作の印象そのまんま。というか、むしろ少女たちの記号化が原作以上に甚だしい・・・」

というのが一番の印象かつ感想です。

導入からの主人公の引きこもり具合の描き方はとても自然かつテンションを抑えたもので、それがこのアニメの全体のトーンを示しているんだろうな、と印象づけられたのですが、
後半で登場した少女3人は、もうベッタベタのキャラ設定で、モジモジ/ハキハキ/無表情、おっさん的理解では、みくる/ハルヒ/長門有希、とまあ原作通りと言えばその通りなんですが、フリフリのロリロリとここまでなんのてらいもなくステレオタイプな設定を持ってくるとは、もうこれは「あえて」やってる感が強いです。
すこーしシリアスっぽく始めて、ニートが妖精(少女)たちにお願いされて、って、異世界転生ものですかw

・・と書いて、あ、案外この理解が「あえて」のところにマッチしてるのかな、思い始めました(^^;

引きこもりニートが、天使(少女)に連れられた行った先には、主人公がスーパー能力を発揮できるガジェット(ビンテージ・インストゥルメンツ)という宝の山。そして試行錯誤を経て天使たちを救う・・・うん、完全に異世界転生フォーマットだわ。

なるほど、こう考えてみると、記号感しかなかった少女たちが、フォーマットの力を背景にしてしっかり存在感を得られるかもしれないですね。

もっとも、わたし原作への理解が足りてない故かもしれませんが、アニメ化においてシリーズ構成の骨格を整えての展開とも思えますので、これはちょっと追いかけてみようかなと思います。


それに、音楽にはランティスが入っているので、楽曲や楽器・演奏描写は力入っててそれも楽しみです(^_^)

最初だけってことはないよな・・・

正解するカド: 最終回の感想と総括

前回からの想像通り、やはりヤハクイザシュニナの掌の上での反撃でしかなかった、という展開からもう一回どんでん返しの最終回。

今回は驚く前に笑ってしまいました(^。^)

あーなるほどー、中盤からのラブロマンス要素はこのオチのためのあざとい伏線だったのね。うん、これはフェアだわ・・・

な、わけあるかいや(-_-;)
それがありならもっと早く出てきて(時間コントロールできるだから)いやボーン回避できたやん・・・

ほんまにもー、完全にバカSFで完結したなー。


・・ただですね、この最後の展開のおかげで自分でも意外なほどに「あー、面白かったあ」と、バカSFの結末に納得できたというのもありまして、

あ、バカSFは褒め言葉です(^_^)

多分これは、自分が観たいと思って繰り返し予測していた
「人類が創造主の思惑を超えて発展進化する」
という展開が、バカSFとは言え、曲がりなりにもひとつの形になってた、ということに尽きるのではないかと自己分析しています。

人間って自分が観たいと思った範疇に入ったものはとても広く許容できるもんなんだなあ、と、つくづく納得しました。

実は、
わたしが第2話時点でこの作品の大まかな設定を予想できたのも、種を明かせば
「箱庭宇宙の住人と創造主とのファーストコンタクト」
というプロットというかアイデアが、随分と昔から頭にあったからなのです。それはイーガン「クリスタルの夜」よりも更に遡ってホーガン「造物主の掟」あたりがその原点だったような気がします。基本的なアイデアがほとんど同じだったせいで、序盤に散りばめられたアレヤコレヤがどれもこれも納得できるという展開だったわけです。

↓こちらがその予想。
http://amori.hatenablog.com/entry/2017/04/25/184634


観たかったものみられる、というのは本当に嵌められるもんなんだなあ、と改めて実感しました。

逆に後半の、実はバカSFに向かっていた展開については大外し。そりゃ自分が観たい設定からは大きく離れていくばかりだから、頑張っての考察や合理化は色々と無理ありましたね。

惜しむらくは、もっと早い段階でバカSF展開を全面に出していてくれたならば、
「このバカSF展開に、そんな勿体無い大ネタのSF設定持ってくるかあ?頭おかしいww(褒め言葉)」
と、もっと前のめりでダレることなく楽しめたのになあ、と思ってしまいます。

あと、意外だったのは、9話のラスト以降、もしくは7話8話の縁日回デート回展開あたりからネットでは
「面白くなってきたー」
という反応も少なくなかったことです。
これも、その人たちにとって「観たかったお話」だったということなのでしょうね。

一定数そういう人たちがいるということは、プロデューサーがとりあえずラブロマンス入れようとするのは、数字の積み上げには貢献するもんなので特に製作委員会方式だったりするとしょうがないんでしょうね。
そう考えると、シン・ゴジラでその圧力を蹴っ飛ばしトコトンまで自分のイメージに固執した庵野監督の信念はすごかったんだなあ、と改めて認識しました。

シリーズ構成や製作についても色々な意見はあったんですが、上記のように色々と昇華されてしまったようで、

ま、なんだかんだと文句言いつつも、お釣りが来るぐらい楽しめた作品でしたので、結果オーライです。

どれ、積ん読野崎まどに手を出すときがきましたか(^_^)


補足:
anond.hatelabo.jp
を読んで思ったのだけど、最終回のオチは森博嗣の某作への強いオマージュと言えるのかも。わかる人にはわかりますよね?

他の正解するカド関係の記事はこちら
amori.hatenablog.com

正解するカド 第11話 それでもまだ希望が・・

えーっとですね、さすがにあと一回でステレオタイプな展開をひっくり返してはこれないでしょうねえ(-.-;)

これまではこの作品のプロットについてのみ解釈や予想をコメントしてきたんですが、さすがに製作自体にコメントしたくなったので、これについては記事を分けます。

さて、ヤハクィザシュニナの人類拉致計画を阻止するべく、真道と沙羅花は品輪のサポートを得て対策を準備した・・
という展開はあまりにもストレート過ぎて、これ自体がミスディレクション出ないかとすら思ったりしなくはないのですが、第7話〜第9話でハードSFから人間ドラマにクロスフェードしてきた流れからして最終話でハードシリアスSFの比重が大きくなることは、まあないでしょうねえ(ToT)

巨大化し人類を飲み込んだカドが、ヤハクィザシュニナと真道との対消滅を起こし、それを沙羅花が涙とともに見つめ、バックにエアロスミスがかかる、
みたいな終幕でも、もう全然驚きませんわ(´ー`)


まあ、それでもまだ残された希望があるとしたら、
・品輪はあのスーツを対ザシュニナ兵器と思って作ったわけではなく、また異方に行くなら喜んで行く気配がありあり。
・ヤハクィが沙羅花達を閉じ込めた、と言っているガジェットと、沙羅花が閉じこめようとしてるガジェットが見た目同じ。なのに沙羅花たちは自由にこちら側と往き来してる。てことは、ヤハクィはわかってて真道と沙羅花を泳がしてるわけで、品輪に異方アクセスの知識をも授けてるんだから、結局は全てヤハクィの掌の上という展開もあり。
・ヤハクィが読んでいた小説は、有島武郎の「実験室」のよう。これ、病気で死んだ妻を解剖する医師の話。前に「人間万歳」が展開の暗示だったことがあるから、これも暗喩だとしたら、解釈しだいでバッドエンディングへの期待もなくはないような・・・

さて、どうなりますかね。と、思わせてくれるだけでも、充分楽しい作品だったことは確かです。
予想の外し方が、斜め上でなく斜め下だったのだけは残念でしたけどね(^。^)


ちなみに「実験室」の概要
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/実験室_(小説)ja.m.wikipedia.org

本編は青空文庫にはありませんが、国会図書館のデジタルコンテンツがありました。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1109899dl.ndl.go.jp

正解するカド 第10話 ・・異方≠高次元

前回の展開から、第10話で語られた内容はまあ予測の範囲内でした・・悪い意味で(T_T)

沙羅花他の異方存在が我々の宇宙を創世から観てた、ってのはまあいいとして、なんでメンタリティがそんなに陳腐な人間くさい自然志向なんですか・・

でもって、バトルも結局、愛が全てを救うみたいな展開に加えて、気がついたら事後のワイシャツサービスカットとかw


・・・ここまでベッタベタの手垢にまみれた展開を見せられると、逆にもう一回ひっくり返し返してくるんではないかと期待してしまいますわw

というのは、今回のエピソードで「次元」というワードを安易に使っているのにとても違和感を覚えたからです。

第3話でヤハクィが自分たち(もしくはノヴォ)の世界を「異方」と呼び、真道が「高次元世界」と例えたのを「その例えは齟齬がある」と否定しました。
このやり取りはこの宇宙がバーチャルリアリティとしてノヴォに作られたもの、と確証するひとつでもありました。

なのに今回のエピソードでは、
こちらの世界に入ってしまうと次元が落ちてしまう」とか
「高次元のままの私に勝てるわけがない」とか、そう言えば前回での説明も「高次元世界での情報不足」をコンタクトの理由としてたり、
どれも最初の「次元」の扱いとずれを感じてしまいます。

まあ、これを合理的に解釈するならば、
ヤハクィも沙羅花もこっち側にいるがために、高次元な存在に転化してる」
というう理由付けと考えられなくもありません。

それ故に、これからノヴォ本尊への干渉が始まり、この作品の当初の「人類との共通理解がありそうで怪しい超知性体との不穏なファーストコンタクト」というテイストへ回帰することにまだ希望を持っているのです。

それに、創世の頃にいた沙羅花以外の異方存在の行方もまだわかりませんし、品輪助手の活躍もあるかもしれず、さらに残り2話でもビジュアルの隠し球が残ってるそうなので、まだまだ新たな展開の希望は残ってると信じてるのです。

ただ、11話の予告だと、沙羅花と真道の反撃っぽい描写があったやうな。まだベタ展開かなあ。
ま、このまま終わってもトータルリコール以来の夢オチ投げっぱなしジャーマンという怪作として納得しますけどね(´ー`)

正解するカド 第9話からの考察

第9話、驚愕のラストからの衝撃からようやく立ち直りつつありますので(^。^)、気をとりなおして「あの展開」の意味と今後の展開を考察してみたいとおもいます。

これまでのカド関係の記事はこち
amori.hatenablog.com

** 以下、第9話の内容に思いっきり触れますのでご注意を **

さて、バカSF、もとい、バトルモード展開という驚愕のラストで、口あんぐりの方多数と思われます。(わたしもですw)
これには少なからず批判的な声もあり、
特に第9話でのヤハクィの行動が、これまでの超越的な異方存在の描写に対してあまりにも浅慮で人間臭い、という点についてコメントが多かったように思います。

確かに第8話ヒキでの怪しい表情から、余りにもステレオタイプな悪役っぽい行動というのはそのとおりだと思います。

・真道を異方に連れて行きたい
・合意を得られなかったので、4時間前にセーブしてた真道でやり直そう

この流れがどうにも人間臭く、別に真道の合意なくても異方存在の能力使えば、これまで散々コピーしてた真道のスナップショットを連れてけばいいんでないの? と、思いますよね。

しかし忘れてはいけないのは、
「ヤハクィも沙羅花も異方存在のオリジナルの存在ではなく、カドとこちらの宇宙に構築された自律的なアバターである」
ということです。
そもそもノヴォ側に人としての感性や善悪の概念がある可能性すら相当低いはずで、
今回のエピソードでヤハクィが人間臭く描かれていたというのは、ヤハクィという対人類へのインターフェースであるアバターが人間との自然なコミュニケーションを、本や縁日散策wなど、で習熟したからであり、カドの空間において人間にわかりやすいように表現されているからでしょう。
沙羅花のバトルモードも同様で、ヤハクィと沙羅花のカド内でのコンフリクトを人間にわかりやすい形でカド内で表現したら、沙羅花の人間界での知識と嗜好からああなってしまったというだけで、高次の世界ではもっとわけのわからないハッカー同士の攻防のようなものがあったのではないかと思われます。

これから、もしバトルが繰り広げられ、それが魔法少女ものぽかったりステレオタイプな能力バトルだったり、魔法陣のぶつけ合いだったとしても、
それはあくまで人間に伝わる表現というカドによる翻訳の結果ということで楽しめばよいのではないかとw

・・・ヤハクィもアニメ観てたのかな。


さて、次回のポイントは、なぜヤハクィは真道を連れていこうとしたのか、そして沙羅花はいつからどのような形でこちらの宇宙に構成されたのか、のあたりでしょうか。
きっと沙羅花とのバトルもしくは交渉の過程で明らかになるでしょう。

人類の文明を、情報の繭、とか、特異点とか呼んでたあたりに、単なるバックアップでは事足りない要素があるのかな。



そしてもう一人キーパーソン品輪助手が控えています。
まだ3話残ってますので、とんでもないかとやらかしてエンディングを派手にしてくれるのではないかと期待してます。

品輪「カドできましたー」とかで当初予想の線を実現してくれないかなあ・・・