amori's blog

よろず技術系と趣味関係の雑記です。アニメの比重が高くなってます・・

シン・ゴジラと「未知への飛行」

東宝の山内プロデューサーに「シン・ゴジラ」に取材した記事で非常に興味深い記述がありました。

庵野対東宝、エヴァと並べた決断、掟破りの「シン・ゴジラ」山内章弘プロデューサーに更に聞く - エキレビ!(4/4)

岡本喜八監督の作品に大きく影響を受けていることは既に何度も語られていますが、それとともに「『未知への飛行(63年)の話もずいぶん出ました。」との記述があります。
残念ながら、この記事ではこの映画がどのようにシン・ゴジラに影響したかについて掘り下げていません。もしこの記事のライターが「未知への飛行」の内容を知っていたら次の文の「大勢のひとが各々の視点で・・・」などという情報量のないまとめにはしなかったでしょう。

製作側が「未知への飛行」を強く意識していたという事実によって、「シン・ゴジラ」のあるシーンを深く解釈することができます。
以下、「シン・ゴジラ」と「未知への飛行(現代:FAIL SAFE)」の内容に触れますのでご注意ください。

上記の「あるシーン」とは、

(以下、シン・ゴジラの中盤あたりのシーンに触れます)

米国の東京への核兵器使用について「極東の島国だからそんな決定ができるんだ」と憤る
矢口蘭堂長谷川博己)にたいして、赤坂官房長官(竹之内豊)が「(大統領は)仮にニューヨークだったとしても同じ決断をしたそうだ」と語るシーンです。

このシーンの直前で、赤坂は東京への核使用の決定を知り感情を露にして反発していました。作品全体で始終クールであった赤坂がほとんど唯一感情を見せたシーンです。ですから、赤坂が矢口に対して、日本人ならば容易くは受け入れがたい決定を極めて冷静に説明しているのは、はたしてどういった心境なのか解釈の余地が生まれます。
米国の決定には逆らえない日本の立場を諦観とともに受け入れているのか、政治家として大局をとって東京の消滅もやむ無しと理解しているのか、それとも言葉の通り米国の言い分を信じ核使用を納得しているのか。

わたしはこのシーンの赤坂の「ニューヨークに核」という台詞を聞いた時に、まさに「未知への飛行」を思い出しました。そのため、「赤坂は言葉通りに米国の大統領の言い分を理解したのだろうなあ」と感じました。

なぜそう思えるのかということについては、「未知への飛行」の結末にまで触れなくてはりません。以下あらすじおよび結末に触れます。






「未知への飛行」(映画邦題 原題:FAIL SAFE, 創元文庫「未確認原爆投下指令」)
1962年に発表された偶発的な核戦争勃発の恐怖を描いた作品です。
大まかな粗筋:ソ連の敵対行動を察知した米国は核搭載爆撃機をモスクワへ向かわせますが、ソ連の敵対行動は誤認であることが判明し攻撃指令を撤回します。しかし通信システムの不具合により一部の爆撃機の攻撃指令を止めることができなくなってしまいます。米国はやむなく、ソ連に対して誤った攻撃指令が継続していることを伝えなんとか最悪の事態を回避しようとあらゆる手段を講じますが・・・・・

(以下、結末に触れます)

米国からソ連に対しての作戦行動情報の提供・協力にも関わらずモスクワへの核爆弾の投下は回避できませんでした。そして米国大統領は、モスクワ爆撃が回避できなかった場合にソ連からの報復攻撃を止めるために、ソ連に約束した指令を実行します。

それが「自らニューヨークに核を落とし報復の連鎖を止める」という決断です。

こや結末は当時としては非常にセンセーショナルなものですが、これはまた同時に当時ソ連と米国が核兵器を互いの喉元に突き合わせて、いつ全面核戦争が起こるかわからないという非常に危うい均衡の上に世界があったことを肌で感じてたことのあらわれでもあります。

同時期にほぼ同じプロットの「破滅への2時間」という作品も発表されており、これはあのキューブリックの「博士の以上な愛情あるいはいかにして(以下略)」の原作であります。(映画はブラックジョークテイストですが・・)
このようにフィクションの世界とは言え、米国は核の恐怖を刷り込まれており、そして実際1962年にキューバ危機で世界は本当に全面核戦争の一歩手前にまで至っており、リアルにその恐怖を経験しているのです。

「FAIL SAFE」は、その中でも特に米国のトラウマとして強く残っているものなのでしょう。
本作は2000年にジョージ・クルーニーが生放送という形式でリメイクしてもいます。


話を「シン・ゴジラ」に戻しましょう。

わたしが赤坂(竹之内)の台詞を「米国大統領の説明を納得した」と感じたのは「ニューヨークに自らの意思で核を使う」という言葉がダイレクトに「未知への飛行」を思い起こさせたからです。製作陣がこの作品を強く意識していたというのであれば、脚本の意図も恐らく同じだと思います。
観客に大統領の意志と赤坂の考えを伝えるためには、赤坂・矢口間でそれなりのやり取りが必要ですが、ただでさえ情報量が多くて早口でなんとか尺に納めている脚本にそれ以上の説明を加えるのは無理と判断したのでしょう。そこで伝わる人には伝わるキーワード「ニューヨークに核」、そして竹之内豊の演技に全てを込めて、あとは観客の理解に任せたのではないかと思いました。

ちなみに「未知への飛行」を知らず、シン・ゴジラを観た人に、このシーンの赤坂の心境はどうだったかと想像するか質問してみたら、人ごとに見事に意見が割れてました。まあ、そうなりますよね(^^;)


あと、これを書いていてふと思い出したのですが、わたしが初めて初代ゴジラを観たのは読売テレビで不定期にやっていた映画特集「cinemaだいすき」だったはずです。そして、たしか「未知への飛行」「アトミックカフェ」も同時にラインナップされていました。「博士の異常な(以下略)」もあったかな。(ググってみたら1986年の第7回アトミック特集。作品リスト不明)

庵野監督はこの頃にはもう上京しているのでこの特集を観てはいないと思いますが、制作陣の中で「未知への飛行」が何度も語られていたというのはスタッフの中でこの特集を観た人が少なからず居て「(初代)ゴジラ」と「未知への飛行」の組み合わせが刷り込まれてたのかも知れません。